お散歩@崇仁〜東九条

おとついの夜、こちゅかる子さんから「東京からお客さんが来るので、柳原銀行近辺の見所について教えてほしい」というメールが入りました。で、来られる日はわたしはたまたまヒマだったので、「んじゃ行きます」と安請け合いをしてしまいました。さらに、昨日の夜、ここの人から「東九条を案内してほしい」というメールが入りました。「じゃぁ、まとめていきましょう」ということで、今日の午前中は、崇仁から東九条のお散歩。
まずは、柳原銀行記念資料館に集合。ここで、学芸員の方のお話を聞きます。
フラフラと聞いていたのですが、ヒョイと目に入った崇仁歴史マップを見て「?」…。
右下に注目です。「なんで光公園のあたりに40番地があるの?」「なんでここが「オールロマンス闘争の舞台」なの?」。
ふみゅぅ〜。
まぁ今頃気づくわたしもわたしですが…。


で、説明を聞き終わったところで、お散歩開始。天気もいいし*1、気温も高いし、これは昼のビールがおいしくなりそうです。
崇仁の町中を一通りまわって光公園へ。ここで、しばらく雑談です。まぁ元ネタはこれですけど…。


で、ふたたびお散歩の開始。今度は東九条を歩きます。途中、おいしいホルモンを売っている店なんかを案内しながら、1時間半ほどのお散歩終了。


にしても、お散歩の最中の話は、けっこうハードでした。今回のお散歩は、もともと「LADD リーガルアドボカシー 〜障害をもつ人の権利〜」というところの方が企画されたものらしく、その意図のうちのひとつが「水平運動〜部落解放運動の「お金」の出所が知りたい」ということでした。だからこそ、柳原銀行がお散歩の出発点だったんですね。さらに、お散歩の後に行かれるのは水平社博物館。
なんにつけ、運動をするにはお金が必要です。例えば水平社を立ち上げる時に、どのようにしてお金を調達したのか。あるいは、「法」以前はどうしていたのか。すべてを自己資金でまかなっていたのか。
これは、極めて切実な問題です。特に、障碍者の場合、自己資金は極めて少ないことがほとんどです。その状態からどうやって運動を立てていくのかという時に、部落解放運動から学ぶことがあると考えられたようです。
にしても、そんなん、答えられますかいな、わたしの力量で(笑)。まぁ、明石民蔵が自己資金を持っていたとか、阪本清一郎が自己資金を持っていたぐらいの話しかわかりませんわ。てことで、あまり参考にならなかったかと思いますよ。やれやれ…。やっぱり自分の力をオーバーすることはしないことやなぁ(笑)。

*1:日焼けするorz

なんかもう…。

東京*1からのみなさんとは柳原銀行の前でお別れ。その後、KGCのS田さんとさらに北へとお散歩開始。向かうは当然のことながら「おたふく@天部村」です。
お店にはいると、生まれた時から店に通っているんじゃないかと思われるKっくんがおられます。ここからKっくんと濃いぃ会話開始。最後は表の道でビヤガーデン状態で呑んでしまいました。
やっぱり土曜日のおたふくはおもしろいなぁ(笑)。

*1:愛知や大阪の方もおられましたが