power

で、研究集会の記念講演は朴木佳緒留さんの「学校教育におけるジェンダー平等を考える」。いや、おもしろかったです。ジェンダーをめぐるさまざまな論議と、そこからひきだされる学校教育のあり方について、かなり柔軟な観点で語られました。一方、朴木さんって、とてもていねいで柔らかい物腰なのですが、ごりごりのフェミニストなんでしょうね。「男性と女性の違いはpowerだ」と一刀両断です。
ここでいうpowerは「権力」です。すなわち、「男性には権力がある」ということです。まぁ当たり前といえば当たり前なんですけど、続けて言われたのが「これを話すとみんなに引かれてしまう」なんですね。たぶん聞いている人(こういう研究集会に参加しているのは圧倒的に男性が多いんですよね)は、「頭ではわかるけど認めたくない」とか「一般化されても困る、自分は権力的ではない」とか「うちではパートナーが権力を持っている」とかいろんな思いが頭に浮かぶんでしょうね。もちろん、わたしはこれをタニンゴトとして考えるわけにはいきません。やはり、社会的に「男性」として存在している部分もかなりあるわけで、そういう自分の存在を簡単に否定することは、等身大の自分を認めないことになりますから。
でも、「簡単な例」には笑いました。
なんでも、最近朴木さんは新幹線に乗る時、特に夏にはグリーン車に乗るそうです。「いや、お金があるからじゃないんです」って。
わかりますよね〜。
問題は「肘掛け」の位置づけなんです。朴木さんは、あの肘掛けは「中立地帯」と考えておられるんです。ところが、ほとんどの男性はあそこに肘をかけるらしいです。すると、肩や日出が触るので、それをさけようとすると、ものすごく窮屈になってしまう。「若い時は大丈夫だったけど、最近はあの窮屈な恰好をして東京まで行くのがしんどい」とのことです。
ちなみに、自分の経験だけでものを言うのはあれなので、新幹線に乗るたびにリサーチをしたそうです。すると、女性が隣にいる場合、男性の約8割が肘掛けを占領して、女性は0%だったそうです。
この例を出すたびに、聞いている人に引かれてしまうらしいんですけど、なんかわかるなぁ…。たしかに、新幹線に限らず電車で誰が隣に座るかって、かなり切実だもんなぁ…。
帰りの車の中で「人の話の聞き方にも違いがありますよね。女性はたいてい受容的な態度だけど、男性はたいてい「試してやろう」という感じですからねぇ」なんていう話をしてました。
「あなたは権力を持っていて、それを行使しているのよ」ということを、アサーティブネスに伝えることって、実はとっても難しいことなんだろうなぁ。てか、気づくのが難しいのか…。>自分