女人禁制のシンポ

詳細はあまりよくおぼえていないのでパス(笑)。
途中、すごく事細かな質問があって、これへの回答として、コーディネーターの方から「ケガレ意識」あたりの話が出てきて、なかなか興味深い展開になりました。
ここで話された「ケガレ意識」って、たぶん「延喜式」あたりから出てくる話なんでしょうけど、この価値観のおよぶ範囲って、しょせんは京都を中心とした当時の都近辺だけですよね。となると、その勢力の外側にある地域では「女人禁制」ってあったのかなかったのか。あったとしても、「延喜式」を元にした「ケガレ意識」というわけにはいかないだろうと思うのですよね。にもかかわらずあったとしたら、もう少し普遍的に「女性を排除する」という文化があったというふうに考えなくちゃならないだろうし、それってどうとらえたらいいんだろう…。
それ以外にも、いろいろ話がありましたが、まぁ、これもここではパス。というか、「祭」のために帰らなくちゃならないので、途中で失礼したという…。