誰がつくるのか?

で、ここでついケンカをしてしまいました(笑)。
はじめのうちは「お前な、ホンマに性同一性障害なんか?」という秀逸な質問が出てきていて、「おもしろいなぁ」と思っていたのですが(笑)。あ、ちなみにわたしの答は、もちろん「そんなん、わからへん」ですよ。で、「そやけど、無理してへんのか?」という質問には「ぜんぜん(笑)」です。てか、無理はしてますよ。だって、だれしもどうやって生きていくにも多少の無理はあるし、ましてや「女性として生きること」は、ある意味「(ネーチブであるかどうかにかかわらず)無理の連続」だという気がします。でも、例えばホルモンをとっていることについては、全然無理じゃないです。そういうことなんです。
で、ついでですから「わからへんけど、診断書くらいやったらなんぼでももらえるよ」とは言っておきました。で「なんでやねん」というので、「いや、自分の性別への違和感とか相手の性別への同一感が3年以上続くとか、診断基準があるねん。いちおう、それには合致しているねん」と答えておきました。すると「そやけど、診断基準は人間がつくったんやろ。だから間違いもあるやんか」という反論。いや、笑いました。その通りです。ちなみに、診察しているのも人間です。もちろん間違いもあります。だから、わたしがそういう診断書をもらえるのは間違っているそうです。
まぁ間違っていてもいいですけどね(笑)。
さらに「長いつきあいで、バイクが好きだったりヒゲをはやしていたお前を知っている。そんなヤツが性同一性障害とはどうしても思えない。間違ってるやろ!」とのこと。いや、重ねて言いますが、間違っていてもいいですけどね(笑)。しかし、そうなるとかなりの人が「間違い」になるなぁ。
しかしさぁ、自分が間違っているという可能性はないのかねぇ。
そのあたりでだんだんイライラしてきていたところに、「在日の子らの交流会ではその問題を出すな」ときたもんで、このあたりでぶち切れです。いや、4年ほど前に、ようやく自分が自分らしくいられるようになった頃、やたらそういう話をしていました。それは反省しています。だから今は自分からは言わない。当然です。ただ、問題は、LGBTIの問題を抱えている在日の子が来た時、それを隠したままでしか参加できない交流会をつくっているということなんです。在日であるということも、その子の一面。セクシュアリティもその子の一面。どちらもすごく大切な一面であって、どちらが欠けてもその子ではないということなんです。
ちなみに、そこにいたもう一人の人は「別に言うてもええじゃないですか」という立場。日本国籍を持つ中国帰国の方で、その人の生い立ちを交えながら「マージナルであること」をいろいろ話されました。おもしろかった。でも、どうやらわたしにくってかかってきた人は、そういう「マージナルさ」を排除したところしかわからないみたい。
まぁ、最後は、「もしもわたしが交流会に不要な人間だとあなたが思ったら、どうぞ「やめろ」と言ってください」と念押しをして解散。
だって、んなところにいてもおもしろくないもん。わたしには、京都の仲間がいる。