全国キリスト教学校人権教育セミナー・第2日目

午前は、聖書研究と全体会。聖書研究なんていう時間があるのが、このセミナーのおもしろいところです。かなり関心のある内容だったのですが、ここ数日の疲れから体調が最悪だったので、すみませんが、聖書研究の時間はパス。ロビーでひっくり返っていました。全体会のころになってちょっと復活してきたので、ここからプログラムに参加。
全体会は、シンポジウムなんですけど、この中で一番印象に残ったのが「しんどい目にあった生徒(学生)に対して、教員ができることと生徒(学生)ができることがある」ということでした。でも、「生徒(学生)ができることがある」ことを実現させるためには、「出会いの場」をつくっていかないといけません。このことは、「仲間づくり」ということと直結をしているように思います。
でも、なかなかそういう「場」をつくることができないんですよね。ふぅむ、課題だ。いや、やってはいます。在日外国人の生徒たちやトランスジェンダーの生徒たちの場をつくるべくあがいてはいます。そして、少数ながら集まってくれる生徒がいることもまた、わかっています。でも、そこまでアクセスできる生徒たちって、ある意味、「そこ」まで来ているんです。そして、本当に出会いを求めている生徒たちは、アクセスする術すら持っていない。ジレンマだなぁと、いつも思います。結局できることは、常に自分からオーラを発信し続けることしかないんだろうなぁ。
てなことを考えていると、目の前に一人の女性が…。でも、「ん?」。最近金物系(笑)の見分けがだんだんとつくようになってきたわたしには、妙な親近感がありました。「いつきさんに会いに来たんです」というその女性は、トランスの教職者でした。それにしても、あまりにもきれいというかかわいいというか。あとは「ちくしょー」とか「きれいだなぁ」とか「どーせわたしは汚れキャラ」とか。きれいなトランスを見るときれいな女性以上にコンプレックスを感じてしまうのはなぜ…?
午後は、分科会。わたしは今回は分科会の発題者という役割でした。「「ありのままのわたしを生きる」ために」と題して発題を行ったのですが、さてさてうまくいったのかな。でも、最後の感想で「去年のセミナーでセクシュアリティについて勉強して少しわかったけど、今年のセミナーでまたわからなくなった。なによりわからなくなったのは、自分自身のセクシュアリティだ」というのが出てきました。かなりうれしかったです。
分科会のあとは交流会。ノンアルコールなんですが、こっそりビールを持ち込んだのは、ここだけの話です。
交流会のあとは宿舎に帰って再び交流会。数年ぶりに会った在日のお友だちと、久しぶりに熱く語りあったりして、充実した時間が過ごせました。でも、今日もやっぱりしばらくしたらお酒が飲めなくなって、早々に寝室に引き揚げてしまいました。まぁいいか…。