なので、教材づくり

昨日の放課後、「明日には教材をお渡しします」と言ってしまいました。マジでできるかできないか、自信はないのですが、こうやって自分にプレッシャーをかけることで小人さんが発動してくれるかもしれないという、一縷の望みをかけるわけです。
で、今日も通勤途中いろいろ考えながらバイクを走らせ、1時間目の授業中も半分はそっちの方を考え…。
まずは困ったのが、生徒たちからの最も多い質問「なぜ部落ができたのか?」
いや、これ、マジで説明に時間がかかります。でも、これをコンパクトにまとめなくちゃなりません。困った…。それでも約2時間、なんとかできあがった、超コンパクト版の部落史プリント。

(1)平安時代(800年頃〜1200年頃)
「死」「病気」「火事」「犯罪」「天変地異」など、「秩序の乱れ」を「ケガレ」とする考え方がありました。そして、このような秩序の乱れた状態を回復することを「キヨメ」と呼んでいました。
 このキヨメに従事する人たちは、人々から「すごい力をもっている」という尊敬のまなざしと、「ケガレに触れている」という賤視するまなざしの入り交じった、複雑な思いで見られていました。

(2)鎌倉時代室町時代〜安土・桃山時代(1200年頃〜1600年頃)
このころになると、民衆の「キヨメ」に従事する人たちへのまなざしは、次第に尊敬の思いが薄れ、賤視し排除する意識が強くなってきました。
しかし一方で、庭づくりなど、日本の伝統文化を担っている人たちも「キヨメ」に従事する人たちでした。
また、「キヨメ」に従事する人たちの中でも、皮革産業に従事する人たち(かわた)は、実は武士・大名にはなくてはならない存在でした。なぜなら、皮革産業は同時に軍需産業でもあったからです。そのため、各地の大名は自分の藩にお抱えの「かわた」を住まわせました。

(3)江戸時代(1600年頃〜1870年頃)
江戸時代は、身分を強化する時代でした。そのため、武士身分・町民身分・百姓身分などがつくられました。また、被差別身分も身分としてハッキリとさせられる時代でした。
しかし、このような身分は突然できたのではなく、それまで民衆の中にあった差別意識を助長・固定化していったと考えられています。
ところで、被差別身分の人たちは、皮革産業をはじめさまざまな仕事をしていたので、けっしてみんなが貧しい暮らしをしていたわけではありませんでした。

(4)明治時代〜(1870年頃〜現在)
明治になって、法律上の「身分」はなくなりました。
しかし、人々の意識の中には、江戸時代までの被差別身分の人たちやその人達が住んでいる地域への差別意識は強く残っていました。
さらに、戦争や不況のため、決して貧しくなかった「地域」に住む人たちの暮らしは、一気にしんどくなりました。まわりの人たちは、そうした「地域」の姿を見て、厳しい差別のまなざしを持ちました。そして、その「地域」を「部落」と呼ぶようになりました。
現在、地区改善事業により、かつての「貧しい」部落の姿はほとんどなくなりました。しかし、いろいろな差別はまだまだ残っているし、なによりも人々の中にある差別意識がなくなったわけではありません。それが一番はっきりとあらわれるのが「結婚差別」なのです。

我ながら、よぅまとめたわ^^;;。
これができたら、あとはなんとか…。京都府のさまざまな意識調査なんかを織り交ぜながら、どうにかこうにか8割方は完成。
最後は、「映画を受けて」ということだったので、代表的なキャストの「心の動き」を追うことで「変わり目」を感じさせ、その後を予測させる、と。
できた!と思ったら、すでに4時。そこから「解説プリント」をつくって、最後のブラッシュアップ*1をして完成。と、5時10分。やべっ!なんとか「今日中」に間にあいました。ホッ…。
さて、ご意見を待ちますか…。

*1:一枚一枚のプリントを独立させて、順番や、やるかやらないかを自由に選択できるようにするとか…