「つなぐ」ということ

でも、宇和島の人たちの話を聞きながら、「うらやましい」と思ってしまったのは、やっぱり「伝える」「つなぐ」ということについてなんですよね。「親から子へ、子から孫へ」というのがよく言われるのですが、セクマイのギョーカイではあり得ないことです。でも、そうした「つながり」から学ぶことはたくさんあります。
セクマイのギョーカイでは、そうした「つながり」を、血縁や地縁、あるいは民族とは別に、自覚的につくりだしていく必要があります。
部落や在日の場合、世代間で価値観の対立があったとしても、それを越える別の「つながり」というものをまだしもつくりやすいのかもしれないけど、セクマイの場合はそうはいかない。そこの対立は、決定的な対立になってしまいます。しかも、「前の世代を越える」という形だったらまだしも、「前の世代を否定」という形での対立になると、「つながり」というものがまったくなくなってしまう*1
でも、誰かが誰かとつなぐ役割を担わないといけないと思うのですよ。もしもその一端を担うことができるなら、やはりやらなきゃならんかなぁと思ってしまう今日この頃です…。
そうそう、特別報告のトリを努めたK口くんの話の最後の一文。「自分は部落民として生きることを「選んだ」。こんな自分をちょっぴり誇れる気がします」っていうの、すごくよかった!

*1:そういう意味では、やはり障碍者運動から学ぶべきところがたくさんあるのかなぁ。