評価は誰に向かうのか

ふたつ目は、「全国学力テスト」のこと。
あの、膨大な労力は、なんのためにあるんだろう。テストの結果をどう評価するんだろう。
わたしのちっぽけな日常のテストのことですが…。
わたしにとっては、日常にやる「確認テスト」と、いわゆる「定期考査」というやつ、ぜんぜん意味づけが違います。
「確認テスト」というヤツは、「最低限到達してほしいところにどれくらい到達していないか」という指標に使います。なので、そこで「到達していない」ということがわかったら、それはモチベーションとしては「わたし自身への評価」として返ってくるわけです。そして、それを「放課後補習」という形で生徒に返していく。
一方、定期考査というのは、まぁいってみれば生徒に挑戦状をたたきつけるようなものです。「さぁ、どれだけやってくるかな?」と試してみる。当然100点を取られたら悔しい。だからこそ、「生徒の評価」になるわけです。
もう少し言い換えるならば、「定期考査」は「到達度」を試すためのテストであるのに対して、「確認テスト」は「不足度」を試すためのテストという感じでしょうか。ちなみに、「入試」というヤツはわたしは自分でつくったことはないのですが、コイツは完全に「序列化」をするためのテストですから、また観点がまったく違います。
で、それぞれに、評価されるものも違うわけです。
ところで、「全国学力テスト」って、いったい、誰が、何を評価するためにやるテストなんでしょうか。実は、わたしにはよくわかりません。というより、わかっているんだけどね。「どこかのえらいさんが、生徒の正答率を通して、現場を評価する」ってことなんだろうな。
でもね、じつは「えらいさん」こそが自分を評価しなくちゃならないんだよ。でも、そのあたり、旗振り役はわからないだろうし、実施者は「わからないふり」をしているんだろうな。