ルサンチマン

なんか、wikiによると

嫉妬と願望に関係した憤りや怨恨を感じることが、反感を感じられる相手への(不誠実な)憎しみと(行動をし、状況を生きる等のことへの)感情と共に重要であると解釈される。

と書いてあるけど、よくわからないです(笑)。
ただ、わたしのさまざまな活動を後押ししているのは、間違いなく大学時代のある経験です。
かつてわたしは「ネパールワークキャンプ」に行く予定だったのですが、政情不安定とのことで1年出発が延びました。で、その間、ネパール語の勉強会とかしていたのですが、わたし、語学が苦手&キライで行かなかった、と。で、1年後に「君は協調性がないからクビ」と言われた、と。いや、たしかに協調性はないから別に文句はないけどね…(笑)。
でも、彼らの決まり文句は「日本を外から見る重要性」とか「アジアに学ぶ」みたいな話だったんですよね。で、出発が延びた期間、例えばカマの越冬支援なんかにも行っていたわけです。
さて、彼らがネパールから帰ってきたあと、再びカマに行ったのかなぁ…。あまり聞かないなぁ。わたしは大学の友だちと一緒にあれからもよく行ったけど。その後教員になった人もいるけど、ムラの子どもや在日の子どもにかかわっているのかなぁ…。あまり聞かないけどなぁ…。てか、その時の隊長さんにはウチの交流会の案内を送り続けている(いた)けど、なんの音沙汰もないしなぁ…。
「日本を外から見る重要性」って言われても、そこをクビになったわたしにはその後ほとんどそんな機会がないわけで。てか、重要ならばクビにするなよな、みたいな。あと、「アジアに学ぶ」って言われても、この国もアジアですし(笑)。そして「彼ら」の言う「アジア」はこの国の中にもあるわけで、それは例えば、カマであり、ムラであり、ウトロであり、東九条なわけです。
わたしは「この国にもアジアはある」というふうに考え、そこから「日本」を見、そことかかわり続けることで、「彼ら」を「越えよう」としたんですよ。まぁ今となってはどうでもいいことでもあるのですが…。


でもねぇ…。
やっぱり、「国連で働いている」みたいなことを聞くと、あのころの古傷がうずくんですよねぇ(笑)。