わたしは信じない、でも信じる

ここ数日髪の毛がうるさいので、右側でくくってます。
それを見た子どもたちの反応。

  • 3年生

S「先生!最近メガネかけてんの!」
い「うん、メガネッ子でいこうかなと思ってな」
S「へー、今日はドジッ子のイメージなんやな(笑)」

  • 2年生

S「今日はキュートやわぁ。めっちゃかわいい〜(笑)」
い「両方でくくったらこんなんやで、ほれ」
S「笑」

  • 1年生

S[クスクスクス」
S「ヒソヒソヒソ」


ふとある一節が頭をよぎります。

そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。

わたしは子どもたちの「差別なんてせーへんもん」という言葉は信じません。「人の世がどんなに冷たいものか」ということを、肌身にしみて感じますから。
でも、わたしは子どもたちが「変わる」ということは信じています。なぜなら2年生も3年生も、1年生の時は今の1年生と同じでしたから。その子どもたちが、いまわたしを支えてくれていることを知っていますから。
子どもたちが「変わる」ことを願い求めます。でも、それはわたしと子どもたちとの共同作業でしかあり得ない。だからこそ、変わった子どもたちをほめ讃える。そして、そういう関係をつくれた自分自身をほめ讃える。「変わりえた自分たち」に自信ができる。「必ず変わる」という自信ができる。
そこに「人生の熱と光」があるんだろうなぁ。


たまにはちょっと凹みそうになるけど、あしたからもがんばろう(笑)