「ためにする」でいいんじゃないの?

なぜ自分は交流会にかかわるんだろう?なぜ自分はこどもたちにかかわるんだろう?
もちろん答えは「おもろいから」です。
でも、そのスタートは「〜のためにする」です。
昨日のルーツ別討論で、それぞれの討論班の報告をしている時に、いじめにあっている子どもの話が出てきました。子どもたちは
「とめない先生が悪い」
みたいな話に流れていきます。まぁそれはそうなんですが、そんな話をいくら繰り返しても明るい明日(笑)はこないので、
「先生の悪口言ってもしゃーないし、自分がその子のために何ができるか考えへんか?」
とアドバイスをしてみました。
それに対して、ある教員が
「「誰かためにする」んじゃない。自分は外国人の子どもとかかわることで、自分自身が豊かになっている気がする」
という話をしました。
いや、それはそうなんですが…。
はたしてはじめから「自分が豊かになることをめざして」って、できるのかなぁと思います。というか、はじめからそういうのをめざしたり、あるいはそういう発言が出てくるとしたら、それは「ウソ」が混じっているような気がしてならないんです。
正直、交流会なんてやらなかったら楽です。夜更かしもしないし、飲み過ぎにもならないし(笑)(→違)。
じゃぁなぜやるのかというと、ひとつは、やめてしまうことは、いままでかかわった子どもたちへの裏切り行為になると思うからです。そしてもうひとつは、未だ出会っていない子どもたちと出会うためです。
なんのために?それは、子どもたちのためです。
でも、子どもたちのためにやっていると、いつのまにか、わたしが子どもたちと出会わされていることに気づきます。その時、実は誰よりも自分が豊かになっていることに気づきます。
たぶん、「自分のために」って、そういう「結果として」のことなんじゃないかなぁと思います。
まぁ結果は一緒なんですけどね…。