文章を書くということ

いままで自分が書き散らかしてきた文章って、どれくらいあるだろうと、ふと考えることがあります。
まぁ、子どもの頃の作文はともかく、高校の頃に行っていた塾では任意で論文添削なんていうのがあって、そこにしょーもない文章を書いて出していました。それでも、塾の人はガチで添削してくださってたみたいで、今思うとすまなかったなぁと。
大学の頃は、クリスマス礼拝をやる時に「趣旨文」みたいなのを書いたり、頼まれた文章に好きなことを書いたりしていました。この間、本棚を整理していたら、そんなもののうちのひとつが出てきて、読んだ瞬間「キャッ」っと言って、布団をかぶりたくなりました。
教員になってからは、どちらかと言うと、実践報告がメインでした。はじめのうちは好きなことを書いていたけど、全国の研究集会に出さなきゃならなくなった頃から、あきらかに文章が変わりはじめました。まぁ、トレーニングをうけたってこともありますね。最近はそんなレポートを書くことが減って、今度はオファーがあって書くことが増えてきています。


なんか、そんな文章遍歴を見ていると、自分が書きたいものから、少しずつ「読み手」を意識しはじめて、さらに「読まれること」を前提にするようになって、いまや「読まれるための文章」に変わっていってるなぁと思うのです。


で、今日、「おべんきょ」のあと、「おべんきょ仲間」で呑もうと思ったら、きょうの「おべんきょ先生」も混じって下さって、なんかいろいろ話をしました。すると、先生、なんの話からか
「M論文は、読み手のことを考えず、評価を考えず、とにかく自分が納得することを書かなきゃダメ!そうでないと、自分の軸がぶれてしまう。すると、その先論文が書けなくなる。M論文は、人の評価を気にせずに、本当に書きたいことを書く経験をするためにあるの!」
と力説されました。
いや、身のすくむ思いがしました。果たして自分にそんな文章が書けるだろうか。それ以上に、今の自分に本当に書きたいことがあるんだろうか。
まぁ、でも、今って、それを自分の中から見つけ出し、熟成させるまたとない時間なんでしょうね。