思考の継続と中断

まぁ、「思考」というほどのものではないですが、それでも少なくともわたしは、たいていの時間をなにか考えながら過ごしています。まぁ、その中身は、家に残ってるビールの本数とか、そこから逆算していつビールを買いに行かなくちゃならないかとかいった、きわめて日常的に重大な(笑)ことから、ガチで深く思考の中に潜り込まなきゃならないこともあるわけです。
で、いまわたしにとっての喫緊の課題としては、人権学習の資料づくりというのがありまして。
いや、本来はそんなもん担当する人が自分でやらなきゃならないと、わたしは思っています。少なくとも、わたしは自分が担任の時、人権学習に限らず、たいていの資料は自分でつくってきました。だって、その方が使いやすいもん(笑)。
でもまぁ、今はニーズがあるからやるわけですが…。


人権学習に限らず、資料づくりって、まず「何を伝えたいか」について、ボンヤリと考える時間が必要なんじゃないかなと思います。はたから見たら、単にサボっているようにしか見えません。で、自分でも頭の中がフル回転しているわけじゃない。やっていることは、その辺に浮いている雲か綿菓子を集めるような感じです。でも、それをしばらくしていると、やがて自分がなにを感じているかが少しずつ形になってくるのです。そこからやっと「どう伝えるか」のフェーズに移行します。わたしはそんな感じ。
で、一番時間がかかるけど、一番中断を嫌うのは、そのボンヤリと考える時間なんです。
ところで、ガッコというのは、とにかく「中断」の多いところです。まずは、50分刻みの授業。そして、あちこちから飛んでくる「声」。すべてがチャイムで厳密にタイムキープされていますが、やはり授業や掃除などの「時間」を記憶しています。すると、それそのものが、すでに思考を中断することにつながります。
人によっては、もしかしたらさほどのストレスではないかもしれませんが、この状態で「考える」というのは、わたしにとっては、かなりのストレスになります。


今日もそんな感じ。今日は出張日なので、授業のコマ数は少ないのですが、長い時間をかけて考えることができずに、かなり苦しみました。
それでも、まぁなんとか「雲」をまとめてひとつの形にして、資料はできました。できあがったものは、たいしたものではないかもしれませんけどね^^;。