乖離

お座敷のあと、感想を読ませていただくことがよくあります。とてもうれしいです。大人の感想はもちろん、子どもの感想の中には「生活」をまるごと出してくれるのがあったりして、すごく勇気づけられます。
が、一方、すごく悩みます。
わたしのところに「お座敷」の口がかかったのは「たまたま」だと思ってます。なにか確固たるものがあったわけじゃない。それどころか、わたしは勉強嫌いで、めんどくさがりで、話の内容もブレまくりです。でも、それ以来たまぁに声をかけてくださる方がおられます。でもまぁ、話すスピードで考える間を与えないだけのことのような気がしてる昨今です。
ところが、「お座敷」って話す側と聞く側の間にアンバランスがあるんですよね。で、きちんと聞こうとされる方であればあるほど、そのアンバランスは大きくなる。極端に言うと、わたしがあたかも確固たるものを持っているかのように誤解をされるわけで。
そこで、「わたし」と感想の間に乖離が起きる。
これがこわい。
なにがこわいって、グダグダになっても、それすらプラスに評価されてしまう可能性すらある(笑)。やばいです。とにかくそのスパイラルをどこかで断ち切りらなきゃ。
過小評価は人をダメにするけど、過大評価もまた人をダメにする。等身大、等身大。