告知

今日は地元の人権研究会の定例会議。なかでもメインは発達障害の子どもたちのサポーターをしている人の講演です。
いくつかの事例を示しながら、どのように対処をしてきたかという話を聞かせてもらいました。
考えてみると、「発達障害とは」みたいな話を聞く時代から、ケーススタディの時代に移行したんですね。
その中で、発達障害である(であろう)ことを告知するかどうかという議論が少しあって、かなり興味深かったかなと。
ケースワーカーの方は、高校段階だと告知をした方がいいという考え方をされまさていました。
「病名という意味ではドクターが診察をしてすることですが」
という留保をされていましたが…。
つまり、「自分の特性を理解したほうが、いろんなことに対処する方法が習得しやすい」ということなんですね。
わたしは深くうなずいてしまいました。
でもこれ、ケースとしては同一には考えられないだろうけど、部落や在日のことも同じかなと思ったりもします。
この手の話って「世間」から入ってくる情報は基本的には「マイナス」のバイアスがかかることが多いかなと。となると、大きくなってから自分が「それ」と知ると、自己否定感からのスタートになるんじゃないかと。
もちろん「タイミング」ってのはあるんでしょうけど、タイミングは逃すと二度とやってこない。じゃあ逃す前にやった方がリスクは低いんじゃないかと思ったりするのですが…。
少なくとも、自分が「それ」とわかっている人はつきあいやすいなぁ。