たぶん、そこにこだわりがあるんだな

今日のおべんきょはクレア・マリィさんの文章読みです。担当はわたし。まぁ、ツボといえばツボなんですが、とにかく難しい。いきおい、「こんなもんだろう」という、雑な解釈になってしまうのが悲しいです。
おそらく、緻密に論考を立てていくと、傍から見たら
「同じことやん」
と思うことでも、わずかな違いがあるために異なる言葉を使わざるを得ない。すると
「同じことのはずなのに、なんで違う言葉やねん(T_T)」
となる。でも、本人は
「違うから異なる言葉やねん。てか、なんで同じと思うねん!」
なわけです。もちろん、同じ緻密さを持つ人同士ならそうでないとわからないし、同じ言葉を使っていたら、逆に
「なんで同じやねん!」
となる。
まさに
「思いと記述の間にはずれがある。そのズレを埋めるために研究者は言葉を重ね、表現者は言葉を研ぐ」
なわけです。でも、実は研究者も言葉を研いでいますよね。それは、ひとつの言葉に単一の意味を載せるという方向での「研ぎ」なわけです。表現者のそれとは反対方向なのかもしれません。
そんなことを考えながら、「自己命名」とかなんとかをひたすら読みましたよ。もちろん「ネタ」の提供も忘れずに(笑)。