「今」とはいつで、「日本」とはどこか

で、夜はいつものおべんきょです。
今日の内容は「日本教育史の成立」をめぐる話でした。
もともと日本において、教育学の一ジャンルとしての教育史はなんのためにあったかというと、教職者に「よい教育の伝達」としての必要性があった。なので、教職課程のひとつとして、文部省が必要としていた。で、当時(明治期)の教育史は、江戸期を切り離し、西洋から輸入されたものを「正式な教育」ととらえ、それを認定していた。
ところが、大正期に入って、江戸期に注目する教育学者が登場してくる。ペーパーにはその代表として3人とりあげられました。
で、それぞれに主張は違ったり対抗したりするんですけど、おそらくはナショナリズムみたいなものがあったのではないかと。それは、例えば「日本の教育の本質は教育への情熱で、それは江戸期にすでに見られていた」とか、「明治維新から半世紀にも満たない短期間で欧米諸国をうわまわる教育制度をつくり実現したことを考えると、西洋の教育の輸入だけでは論じられなくて、江戸期(寺子屋)に遡らなくちゃならない」みたいな主張が出てくるわけです。
で、筆者は、近代から近世を見つめるのではなく、近世の目で近世や近代を見つめる必要があるみたいなことを提起して、とりあえず終わったわけですが…。


たぶんこれって、いつの時代も同じことがあるんだろなと。制度改革をしたものは、「これこそが正しい」「これを正史とする」みたいなことを考えてしまう。でも、時代が過ぎていく中で、歴史の重層性みたいなものに着目して「もっと遡らなくちゃ」みたいな論議が出てくる。部落史の見直しも同じ論議ですよね。
ま、そんなことを考えてました。


で、センセからの提起は「では、いま、みなさんが「今の日本の教育」という時の「今」とはいつのことで「日本」とは何を指しているのか」でした。


はじめは、おべんきょ仲間からの「今の日本の教育といった時、受験偏重へと舵を切って以降」みたいな話からスタートして、例えば、「キャリア教育をしろといわれるけどそんなんできない」みたいな話が出てきました。
で、わたし、困っちゃいました。というのは、例えば京都の高校だけを考えても「学校」とか「教育」という一括にはできない多様性がある。例えば、キャリア教育は特別支援学校ではやっているわけです。でも、そんなもの、みんな知らない。なぜなら、特殊である。あるいは伝達する価値のないものとして、知らされていないからですよね。
で、「知らされていない人」って、そういう非常に限られた情報の中にいるのに、あたかも「知っている」かのような錯覚に陥らされている。
それは、教育再生実行会議も同じですよね。てか、より性が悪いです。
それと「今」と言った時、ひとつはまさに「昨日今日のレベルでの今」なんだけだ、もうひとつは教員として働いてきた29年間の「流れ」を今と捉える。まぁ、そんなことを考えていました。


あと、「教育」と言った時、その範囲はどこで誰が担うのかという問題もある。
例えば、高校進学率がさほど高くない時は「学校」を通過しなくても職につくことができた。で、そういう子どもたちの教育はおおざっぱな意味での「社会」が担っていた。ところが、98%あたりになると、「学校」を通過しないと職につけなくなった。すると、「教育」は学校にのみ押し付けられる、社会は関与しなくなる。しかし、学校をコントロールしたい勢力はあるわけで、必然的に素人が自分が責任を追わない形でコントロールすることになる。
あと「なぜ社会への関心を失っていくのか」みたいな問題提起がセンセからされて。
そこで、センセが紹介してくれたのがハンナ・アーレントでした。privateの語源は「なにかを失った状態」をあらわし、その「なにか」とは、「他者から関心を持ってもらうこと」である。で、privateが居心地のいい人は他者から関心を持ってもらわなくてもやっていける人であり、そういう人は強者である。でも、強者が権力を持つ限り、privateな社会へと移行するし、そこで格差は拡大していく。
そう言えば、「組合」って、privateとは真逆の存在です。で、この「組合」ってものの存在は法律によって保障された労働者の権利なんですよね。これ、厚生労働省が作成している労働者の権利にかかわるパンフレットにも書いてあります。でも、privateの広がりの中で、労働者自身が「組合」へと拒否感を持ってしまっている。なーんてことも、ふと思いました。
まぁ、そんなあたりまで話が広がって、さらに大阪市の小学校教員から大阪市の赤裸々な実態が話されて、なかなか「今」につながる話がてんこ盛りのひとときでした。