柔らかく、でも攻める

状況が悲観的であれば、どうしてもすべてが悲観的になります。もちろん、さまざまなことがあまりにも悲観的で、それにおしつぶされそうになってしまう精神状態になるのですが…。
でも、わたしは元来楽観主義だったはずです。ただ、そのことを悲観的な情況は忘れさせてしまいます。
そんな時、わたしを引きもどしてくれる人がいる。そして、楽観主義だったはずの自分をとりもどします。
「認識においては悲観主義。意志においては楽観主義」
です。


「攻め」には切羽詰まった感覚が伴うことが、時としてあります。「背水の陣」みたいな。でも、状況が背水であったとしても、切羽詰まらない。柔らかく攻める。
信頼できる人を探し、見つけ、託す。
そして、思い通りにならなくても、そこからスタートする。思いは届いてる。


そんな一日でした。