積み上げからの転換点

今日の午前は人権の観点から学力を考える会議でした。
課題はてんこ盛りなんですが…。
学力の定着をはかるって話があって、そのために、日単位、週単位、月単位、学期単位、年単位でていねいに振り返りながら積み上げていくということが提案されていました。
まぁ、それはそれですごい労力もかかるし、すごいことだなぁとは思うのですが…。でも、なにかひとつ釈然としないものが残りました。
それは、「貯め方」だけでなく「使い方」のスキルをつけないといけないんじゃないかなぁってことでした。もう少し言うなら「使い方」を教えることで「貯める必然性」みたいなものが内発的に出てくるんじゃないかみたいなことなんです。
「問題」を解くって、ひとつのスキルだけでできるものもありますけど、それは、たとえば試験だったら「1番」だけで、「2番」以降は複数のスキルを組み合わせなくちゃならない。その時に、既存のスキルを組み合わせて解いていくわけです。で、それらはひとつひとつは小さなスキルで、たぶん既習のものなんだけど、逆にその小さなスキルを使うことに気づかなければ解けない。と思ったときに、「貯める」ことに軸足を置きすぎるとまずいんじゃないかなぁとふと思ったのです。でも、もちろん「なにもない」のはまずいわけで、「貯める」こともまた必要かなと。
と考えたときに、それぞれの発達段階で、「貯める」と「使う」をどうバランスよく配置するかってことを考えるのも大切かなぁと思ったという…。
なんかよくわからんな^^;;