「Do the 在日」

今日は研究会で一日出張です。
午前は朝鮮中高級学校の見学です。研究会の参加者、みんな「あるのは知ってたけど、どこにあるのか知らなかった」「どこにあるのかは知ってたけど、来たのははじめて」と言っておられます。
まぁそうなんですよね。なかなか来る機会がない。でも、「それについて考える」ためには、さまざまなデータが必要だし、「見る」ってことはそんな必要なデータの中のうちのひとつだし、それもかなり大切なデータなんじゃないかと思うのです。
そしてもうひとつ大切なのは「聞く」っていうことかなぁ。朝鮮学校のソンセンニムの話をきちんと時間をとって聞く機会って、なかなかないです。もしかすると「ソンセンニムの話、バイアスがかかってるやろうし」なんてことを考える向きもあるかもしれません。でも、そう考えた時点で、そう考えたわたしもバイアスがかかってる。
であるならば、バイアスがかかっている「わたし」がバイアスがかかっている「ソンセンニム」の話を聞くことで、新たな発見がある可能性がある。
なんというか「理解する」っていう上から目線じゃなくて「(バイアスのぶつかりで)混乱する」っていうところからしかスタートしないんじゃないかなぁ。
まぁ、そんなことを考えていたのですが、終わってからいろんな人に感想を聞くと、「行ってよかった」との答えがいっぱい返ってきました。「見て聞いて知って」からしか「考える」ことはできないってことなんでしょうね。


午後は場所を変えて講演会。講師はBんちゃん。何年も前から話してほしいと思っていたのですが、ようやく実現しました。名前の話やサッカーの話からはじまり、カウンターや仲パレまで、あれほどふくらんでいくんやなぁ。それは、Bちゃんが経験を内側に蓄積しながら、常に社会の中で相対的にそれを評価し続けることをしてきたからなんだろうなぁ。というか、「在日」という存在が、いや「在日をする(Do the 在日)」という行為そのものが「それ」をするということなのかなぁ。でも、それは在日に限らず、トランスでもゲイでも部落でも障害でも、たぶん誰にでもあてはまるはずなんだろうなぁ。で、もしもそれをせずに生きることができるとしたら、それは「あらかじめ配慮されている」からこそなんだろうなぁ。
なんかそんなことを考えながらの、2時間弱のひとときでした。