「あたりまえのこと」を「あたりまえのこととして」

今日はとある人権教育研修会。
午前はレポート発表をしなきゃなりません。考えてみると、ここ3年連続でレポートしてます。おととしは、久しぶりに本気で
「全国行ったるねん!」
と思ってレポートしましたが、年々モチベーションは下降して、今年は
「んー。誰かやろうよ。あー、やらへんの。ほなしゃーない、やるわ」
でレポートすることにしました。
子どもにかかわるレポートはすでにできる立場にはないのですが、自分なりに新たなことにチャレンジし続けているので、それを言葉に置き換えたらレポートはでっちあげられます。でも、ほんとはそんなレポート、一文の価値もないんだけどなぁ…。
それでも、分科会終了後、昼休みに新採の人が
「レポートのあの部分が心に残りました」
なんてことを言ってくださって、これはかなりうれしかったですね。
で、午後は講演。講師は住友剛さんです。テーマは「子どもの人権」。わたしたちの研究会でははじめてとりあげるテーマです。ちなみに、最近、「いじめ」や「体罰」について研修をしろとかいうお達しがいろいろ来ていて「それならば」ということで設定したのですが。さてさて、どんな話になるかなぁ。
話を聞きはじめると、ほんとに「あたりまえ」のことを言っておられます。一貫して言っておられるのは「子どもたちとは「応答的な関係」を」ってことです。何も新しくない。でも、それができていない。そのことに気づかされる。
とにかくいろんな事例を出して「こんなふうな関係を」「こんなふうに対応を」って言われるのですが、そのひとつひとつがストンと落ちてくる。でも、実際の学校ではそうはなっていない。そのギャップに苦しんでいる自分に気づきます。あるいはあきらめそうになっていた自分に気づきます。
話を聞き終わって、なんか、すごく勇気と元気がもらえました。
うん、明日から、もう少し自信を持って「ダラダラ」やろう。