「生活」と「身体」

心理検査のフィードバックを受けながら、この約15年のことを振り返りました。
自分のことを表現できる言葉と出会ったのが17年前。はじめて通院したのが14年前。3年かかってますね。で、ホルモンまでさらに3年。そこからXデー(笑)まで7年。
果たしてこの時間は無駄だったのか。あるいはその間、わたしは苦しんでいたんだろうか。あるいは「性別移行」はできていなかったのだろうか。
たぶん違う。
おそらく「ホルモンなんてせんでええやん」とまわりが思った頃にホルモンをした。そう言えば、ある人から「お前、そのままでええやん」と「ありのまま」を勧められたこともあります。その後、トイレも更衣室も使えるようになった。A久○さん家でみんなで一緒にお風呂にはいったこともあった。たぶん、「まぁ、これくらい達成できればいい」ってくらいの望みの性別での生活は手に入れていた。誰もが「ゴニョゴニョなんてする必要ないやろ」と思った頃にXデーを選択した。


たぶん、生活を実現して、その上で身体加工はあとからついてくる。なぜなら、「生活の実現のための身体加工」ではないからです。身体加工は身体加工として、独立に存在し、それは純粋に個人的なできごととして考えている。逆に言うならば、そう考えられるところまで生活の質を上げて、身体加工の意味を極力少なくなるところまで追い込んで、それからやる。なぜなら「意味」を純化したかったんですね。


しかし、こんなめんどくさいこと、よくやってるよなぁ。まぁ、マニアか(笑)。