正直に言ってくださること

今日の午前はT槻でお座敷です。大阪医大のお膝元のこの街(笑)で、はたしてうまく話せるのかな。というより、昨日の呑み会の影響で眠いのなんの。
てことで、少々テンション上げ気味で話してしまいました。でも、2時間もらっていたおかげで、ネタもそこそこ入れられたし、それでも10分ほど質疑応答の時間がとれたし。
てことで、質疑応答開始。
最初の方の質問がおもしろかった。
同性婚を認めたら、子どもがほしい同性カップルが出てきて、その同性同士では子どもがつくれないからAIDが必要になる。そうすると、そこでできた子どものアイデンティティが失われる。このようなことは倫理的に問題なので、同性婚を認めてはならないと思うが、いかがお考えか?」
というものでした。
まわりの人はざわついています。まさか、性の多様性みたいなテーマの学習会で反同性婚な意見が出てくるとはね。
さて、どうするかな。

先ほど言ったように、世界がもしも100人の村だったら、現在はそのうち90人にしか結婚する権利が認められてなくて、10人は結婚できない。で、同性婚を認めようと認めまいと、この10人はいます。で、同性婚を認めるってことは、この10人にも結婚する権利を認めるってことです。だから、もとからその権利を持っている人にはなんの影響もありません。
それから、AIDの問題は異性愛カップルにも同様のことがあるので、同性婚とはわけて考えなきゃならないことです。
さらに言うなら、例えば異性愛カップルであっても育児放棄みたいなことが起こっています。例えば同性カップルで子どもがほしいけど結婚という形態がとれないために子育てがしにくいというような状況がある場合、同性婚が認められたら子育てをしやすくなります。つまり、この場合、同性婚を認めるということは「親を増やす」ということになるので、その分だけ社会全体の受け皿が増えることになり、異性愛カップルの負担が軽減されます。
つまり、多様な家族のあり方を認めることは、社会全体がハッピーになるってことなんです。

てなことを話しました。
すると、質問者の方は首をひねっておられましたが、まわりの人はヘッドバンギングしておられました(笑)。
でも、こうやって空気を読むことなく質問をするって、とても大切だよなって思いました。なぜなら、同じ方向向いてる人ばかりが集まっても、学びが少ないからです。わたしも、その質問を受けた時どう返すかはとっさに考えたし、きっとまわりの人も「どう説明したらいい?」って考えた。なぜなら、次に同じ質問をされるのはまわりの人かもしれないからです。そんな中での質問。だからこそ、わたしの返しに「なるほど」と納得してもらえたとしたら、それはとても大切な学びなんだと思います。
もうひとりの質問者も
「自殺させたくない」
って熱い思いが伝わってくる話をされて、それに対して
「自殺を強調しすぎるのもどうかと。もちろんそういう思いを持つ子もいるでしょうが、そうじゃない形で顕在化しない子もいる」
なんて話をしました。そもそも、自殺念慮を誰がつくっているかというと、基本的には社会なわけです。なので、「支援じゃなくて、社会が変わること」が必要なわけです。自殺を強調し過ぎると、「(緊急的な)支援の必要性」に論議が流れる可能性がある。そんなことを話してたら、12時をあっさりオーバーです。
そろそろ終わらなくちゃね。