誰もが一家言あるんだな

なんか、わたしが出られない会議で、またまた人権教育のあり方についてのご意見が出たらしい。まず、担当者が出られない会議でそういう話をするってどうよと。だって、言いっぱなしじゃないですか。誰も説明も反論もできないところでそれを出してどうしようと。さらに、内容についても貴重なご意見を賜ったらしいです。なにをしてるか、年度当初のペーパーを見てくれたのかどうか知らないけど、少なくとも担当者に3年間のカリキュラムを聞くこともなく、あたかも「それ」がないかのようなことを、担当がいないところで話題にするのはどうかと思うのですが。まぁ、わたしみたいなヒラヒラペーパーの人間に対しては「伝えておけ」でいいのかもしれませんけどね。
貴重なご意見をいただくのは、ありがたいけど、なんだかなと思うわけです。
どうやら人権については誰もが一家言あるらしいです。まぁ、人権はすべての人に直接かかわりあるから、当然と言えば当然です。が、「人権教育」については、少し違います。なぜなら、そこにはある程度の専門性があるからです。まぁ、
前にも似たようなことを書いたんですけどね。
こないだ行った日教組教研では、いつも発言するのがヒヤヒヤです。だって、目の前に池上さんがおられて、その前でエラソーなことなんて言えるわけがない。でも、言わなきゃならないし言いたいから発言するんです。いつも自分の発言や考えの薄さを思い知らされます。でも、そんな中、自分なりに専門性を持っている中身はあります。そこについては、おそらく池上さんは尊重してくださる。そういうリスペクトがある。
そして、そういう中で「なにをすべきか」「なにを伝えるべきか」を考え、そこからつくる中身が「人権教育」のカリキュラムです。少なくともわたしはそう思っています。
結局、人権教育なんて誰にでもできると思われてるんだろうし、その程度の扱いなんだろうな。
と、グチっておきましょう。