名前とかカミングアウトをめぐるあれこれ

まぁ、ここを読んでる人はほとんどいないだろうから、個人的な考えをテキトーに書きましょう。


たぶん、自分にとっての事の発端は、ガイドラインにまで遡ると思うんです。ガイドラインには「カミングアウトの検討」というのがあります。たぶんあれです。つまり「カミングアウト」がガイドラインの中に組み込まれることで、みんなカミングアウトしなくちゃならなくなった。で、適応があるかどうかの判定は「周囲の理解」で見ちゃいます。なので、「カミングアウト」が「理解を求めること」を前提になってしまった。そして、例えば「某会議」なんかで話を聞いていると「親にカミングアウトしたら受けとめてくれた」「友だちも受けとめてくれた」「せんせいも受けとめてくれた」みたいな話が頻発するわけです。もはや「カミングアウトの検討」とかいらんやろうと。カミングアウトはダダ通しやないかいと。なので、「某会議」では「カミングアウトってなんなんですかねぇ」とかいう意見を言ってしまうわけです。
まぁ、ある種しかたないといえばしかたない側面があることは否めないです。だって、2000年の日記見たら「あるクラスでカミングアウトしました」とか書いてるし、そんなもんではあると思います。
で、こういうカミングアウトだと、そりゃ「ノンカム」=「クローゼット」なんでしょうね。
でも、わたしは「カミングアウトしました」とか書いていた頃の後、少しずつスカートはいたり化粧したりしてパーティーなんかに行くようになって、「あなた、源氏名どうするの?」とか言われて、そこから「いつき」という人生がスタートしたわけです。それはそれでよかったんです。というのも、当時のわたしは「K」というわたしと「いつき」というわたしを切り離して生きてましたからね。だから、それぞれのシチュエーションにあわせた「名前」で生きることにさほどの矛盾もありませんでした。
でも、フルタイムで生きていくことを選択した時から「引き裂かれる自分」がいることに気がついたんですよね。つまり「いつき」という自分で新たにつくりつつあることと「K」という名前で今までやってきたことが引き裂かれる。
もちろんそんなことはよくあることです。だからこそ、女性たちが「姓の選択を!」と主張するわけです。そしてもちろん逆のパターンもあると思います。つまり「ペンネームでやってきたこと」が自分をつくりあげてるなら、それを選択することもあるでしょう。ただ、わたしの場合は「K」でやってきたことの上に「いつき」があるにもかかわらず、ふたつの名前があるという状態だった。それが「引き裂かれる自分」でした。
だから、2002年に「土肥/いつき」という名前で『部落解放』に出ることにしたんです。『部落解放』は、教育委員会はもちろん読んでるし、わたしが住んでいる地域の人も当然読んでいる、あるいは読む可能性があります。てか、地域の公民館に置いてあったし(笑)。そしてなにより、いままで「K」という名前でつきあって来た人や、その人に連なる人々も読んでいる。そういう雑誌に実名で出ることにしたんです。ちなみに、その時にコーディネーターをされた方は、諸般の事情で仮名で出られました。それを批判する気は毛頭ありません。それぞれがそれぞれの置かれた状況の中で選択するだけのことですからね。
そして「/」をとるために2004年に改名しました。もちろん「K」のままで生きることも考えたし、政治的正しさはそちらの選択にあることはわかっていました。そしてなにより、「本名(民族名)を呼び名のる」と言ってきたわたしが、そして生徒が本名を名のる瞬間に立ち会ってきたわたしが、「名前を変える」という選択をすることはどうなのか。そこでずいぶん悩みました。
けど、すでにフルタイムで4年ほど生きていて、すでに「K」はしんどかった。なので、「いつき」を実名にすることに決めた。なので、その選択を「同化」あるいは「クローゼット」と言うなら、まぁ、それはそうやなと思うわけです(笑)。実際そう思ってますから。
でも、「いつき」という名前ですべての時間を過ごすことを通して、ようやく「統合された自分」になりました。それが「いつき」という名前の選択の過程です。
で、実名で生きるってことです。
それは例えばわたしのクラスにいた在日の生徒が本名を名のる時に、最初の反対は家族から来たということとつながります。つまり、その子が本名を名のるということは、同時に家族も在日だということがわかるということです。部落の子が立場を語った時は家族の反対はなかったけど、やはり自分に連なるルーツについて話さざるを得ない。だから、その子の立場宣言は親が部落出身であることからスタートしました。そして部落の場合、家族だけではなく、その地域全体のカミングアウトにもつながります。
つまり、在日にしろ部落にしろ、カミングアウトは自分ひとりではおさまらない。でも、あの子たちはそれをしたんです。
あるいは、あるアメラジアンの友だちは、祖父のfamily nameを自分の「名」の前につけてミドルネーム風の名前にしました。別のダブルの友だちは、通名と民族名の両方を名のっています。そうやって「名のる」ことにこだわりぬいた人たちがいる。
そんな人たちとつながり、そんな子どもたちが語る場に立ち会ってきたわたしはどうするのか。
もちろん、部落や在日とトランスは違うという選択肢もあります。でも、わたしは「違う」という選択をしなかった。それは、あくまでも「わたし」の選択です。
だから、実名で生きることを選びました。それは同時に、わたしに連なる人々、すなわち家族にとってのアウティングでもあり、家族がおこなうカミングアウトでもあります。そういう生き方を選んだ。それがわたしの選択であり、家族の選択でもある。だからその総括として、朝日新聞の特集「家族」に出ることにしたんです。あのあと、家族についての取材はすべて拒否しました。
なので、実名にこだわっています。そして、実名で生きることをもって「わたしはトランスジェンダー」(笑)という言葉に依拠しないカミングアウトをしているつもりです。それが「24時間ひとりパレード」ということの意味です。
わたしが「カミングアウトしていない」というのは、最初に述べたカミングアウトをしていないということです。そう言えば、ふと思い出しましたが、かつてH間さんに「わたしって、Real Life Experienceしてますか?」って聞いたことがあったけど「微妙」と答えられました。たぶん「カミングアウトしてますか?」って聞いたら、やっぱり「微妙」なんでしょうね。でも、こういう生き方が可能であるということは、わたしがやっていることがその証明なわけです。


もちろんこれは「わたし」の「こだわり」なわけであって、そのことをもって他の人の生き方や選択と優劣や正誤をつける気はまったくありません。が、わたしがわたしのこだわりとして「実名主義」をとる限り、わたしの話すこと書くことにそれが価値あるものとして描かれてしまうのはしかたがないことでもあります。でなければ「こだわり」でなくなってしまいますからね。
まぁ、そんな話。