こだわり
わたしのような文系の数学教員でもこだわりってのはあります。それがどんなところに出てくるかというと、三角関数(笑)。
たぶん三角関数って、単位円派とそうでない派にわかれます。ちなみにわたしは単位円派です。だって、角度ごとに半径を変えるの、なんでやねんというと、その角度における三角関数の値がわかってるからやし、そうなると、三角関数の値を求めるために円を書くことの意味がなくなります。そういう出来レースというか「やらせ」がきらいなんです。なので、わたしは単位円派です。
さらに、三角関数に限らずだけど、代数的解法と幾何学的解法だと、幾何学的解法が好きです。まぁでもこのあたりは数学教員共通かも。もちろん、高校レベルの話なんで、紀元前の話ではありますがね(笑)。いや、前にIずみちゃんが言ってたけど、高校の数学って、紀元前レベルですから(笑)。
つまりなんだって言うと、文字式をゴリゴリやるより図形的に考えるのが好きってことです。
でも、これ、基本的には数学がある程度できる人しかできない傾向にあります。なにせ、「やりたいこと」を図に落としこむ必要性がありますから。でも、図形的に考えると、まるで「アルプス交響曲」のように、目の前がパッとひらけた感じがするし、なにより、自分がやろうとしていることが具体化されるので意味がとりやすくなります。さらに最大のメリットは「公式を覚えなくていい」「計算が最小限になる」です。なので、数学が苦手な子にこそ図形的解法を身につけさせたいんですよね。
そんななかで、今朝、起き抜けのボーとした頭で今日の授業について考えていたのですが、画期的な教え方(解き方)を思いつきました。ここ、いままでは数学苦手な子には「解けなくていいよ」って捨てさせてたところです。いや、「解けなくていいよ」は、完全に教員の負けですからね。でも、そこをやらせると公式は間違えるわ計算はミスるわで、やるとろくなことがないんです。もちろんそれを回避する図形的解法がないわけじゃないんですけど、これが汚いんですよね。エレガントじゃない。
今回思いついたのは、エレガントさを保ちつつも簡単な図形的解法です。よし、やってみよう。
ということで、あるクラスで実践。実戦するなかで、さらに画期的な解法がみつかって、自分なりに感じてた「謎」への答も見つかりました。
が、んー、手応えがうすい。そうか、こいつら、それの前の段階だったか(;_;)。
それでも、「教科書式といつき式、どっちが簡単?」って聞いたら「いつき式」って答えてくれた数学苦手な子がいたから、よしとしましょうか。
突然思いたつ
今日はほんとのほんとになにもない日常です。こんな日は、いろいろ考えます。中身はというと、まぁ、どうでもいい話です。と、事務室に行って、とある新聞の京都版を見たら、載ってました(笑)。
その後、雑務をこなしてみたりもします。
そのうち、「そうだ!ブリントをつくろう!」と思いたったりします。なにせ、子どもたちをアクティブにするためには、やはり「ワーク」です。で、一番お手軽なワークは「復習プリント」です(笑)。あー、安直だ。
てことで、ひと通りやらなきゃならないところまでやって、プリント配布。その後ひとこと。
「あいつ、助けたらなアカンというヤツのところに行け!」
とにかく、気持ちと身体を動かすことです。
そんなふうにして、午前午後を過ごし放課後になったところで、突然思いたちました。片づけよう!
片づけました。
あー、さっぱりo(^^)o
会議の一日
朝起きると、やはり体中が痛いです。ヤバイなぁ。痛いだけじゃなくてゴキゴキです。ヤバイなぁ。
でも、幸か不幸か、今日は午前午後と出張です。なので、朝は少しゆっくり目。
会議の場所に着くと誰もいません。そりゃそうです。30分ほど早いです。まぁしかたがないです。それが電車というものです。それでもボチボチ人が集まってきて、会議開始。それぞれの職場の近況と気になる子どもの話のシェアです。子どものしんどい状況は、子どもに責任がないことをあらためて感じます。じゃあ、親の責任かというと、もちろん親の責任なんだけど、その親も子どもの頃があったわけで、そんな子ども時代の育ちの結果として今があるわけです。そして、子どもも親も社会の中で生活しています。格差の拡大や貧困化、社会福祉の切り捨てや、さらには過疎化の中に、子どもも親も置かれている。ほんとに指の隙間から砂が流れ落ちる感覚を持ってしまいます。
その後、小学生の授業参観。かわいいな。担当したいとは思わんけど(笑)。
午後は人権教育担当の会議です。
なんなんだろ。やりにくくなってるな。みんな研修会に参加しようとしない。たぶん忙しいんでしょうね。忙しくなると、出るのが億劫になります。なので、あいてる日があったら休みたくなる。
でもねぇ。研修会、おもしろいんだけどな。たとえ、自分の感性にはまらなくても、「なぜはまらないか」を考えることを通して、自分の感性や考え方を再確認できるわけで、それだけでも価値があるんですよね。
なので、せめて出張になる研修会くらいは出たらいいのになって思うけど、授業の振替とかいろいろあるから難しいんでしょうね。
で、夜は毎月恒例の大阪での会議。これが一番ゆるいてすね。なによりメンバーがほとんど変わりません。それが大きいのかな。気心のしれた人と真剣な話をする。でもこれも「広がり」がないってことの裏返しかな。
てことで、会議の後は飲み会。でも、今日は控えめに。
終電で帰ったけど、さすがにしんどい。
会議の一日
朝起きると、やはり体中が痛いです。ヤバイなぁ。痛いだけじゃなくてゴキゴキです。ヤバイなぁ。
でも、幸か不幸か、今日は午前午後と出張です。なので、朝は少しゆっくり目。
会議の場所に着くと誰もいません。そりゃそうです。30分ほど早いです。まぁしかたがないです。それが電車というものです。それでもボチボチ人が集まってきて、会議開始。それぞれの職場の近況と気になる子どもの話のシェアです。子どものしんどい状況は、子どもに責任がないことをあらためて感じます。じゃあ、親の責任かというと、もちろん親の責任なんだけど、その親も子どもの頃があったわけで、そんな子ども時代の育ちの結果として今があるわけです。そして、子どもも親も社会の中で生活しています。格差の拡大や貧困化、社会福祉の切り捨てや、さらには過疎化の中に、子どもも親も置かれている。ほんとに指の隙間から砂が流れ落ちる感覚を持ってしまいます。
その後、小学生の授業参観。かわいいな。担当したいとは思わんけど(笑)。
午後は人権教育担当の会議です。
なんなんだろ。やりにくくなってるな。みんな研修会に参加しようとしない。たぶん忙しいんでしょうね。忙しくなると、出るのが億劫になります。なので、あいてる日があったら休みたくなる。
でもねぇ。研修会、おもしろいんだけどな。たとえ、自分の感性にはまらなくても、「なぜはまらないか」を考えることを通して、自分の感性や考え方を再確認できるわけで、それだけでも価値があるんですよね。
なので、せめて出張になる研修会くらいは出たらいいのになって思うけど、授業の振替とかいろいろあるから難しいんでしょうね。
で、夜は毎月恒例の大阪での会議。これが一番ゆるいてすね。なによりメンバーがほとんど変わりません。それが大きいのかな。気心のしれた人と真剣な話をする。でもこれも「広がり」がないってことの裏返しかな。
てことで、会議の後は飲み会。でも、今日は控えめに。
終電で帰ったけど、さすがにしんどい。
「性別が、ない!」
この15日からシネ・ヌーヴォで「性別が、ない!」が上映されています。で、なぜかわたしのところに「招待するよ」という声がかかりました。声をかけてくださったのは「Rainbow Tokyo 北区」の時枝さんです。実は「coming out story」の上映会に来ておられて、そこからのおつきあいです。で、
「じゃあ行きます」
と言ったら
「じゃあ、上映後にトークして」
って話になって、なんじゃこりゃと^^;。でもま、招待されるならしゃべらにゃならんかと。
ちなみに、「性別が、ない!」の主人公は新井祥さんです。たぶん直接は面識はない気がしますが、『性同一性障害 30人のカミングアウト』に載っておられて「こんな人がいるんだ」と思ってました。
で、映画を見てびっくり。顔が違う(笑)。まぁ、いろいろあったのかな。わたしも顔違うし(笑)。
てのはおいといて。
映画の感想は、ひとことでいうと「強い人たちだな」です。映画そのものは新井さんとパートナーのうさきこうさんを中心に展開します。そこに、さまざまなセクシュアリティを持つ人がからみます。それだけでなく、新井さん自身が取材を通してさまざまな人と出会われます。そういう「新井的日常」が淡々と描かれます。
全編を通じて伝わってくるのは、非典型的なセクシュアリティを持つ人の生きづらさと、その生きづらいこの社会をサバイブする登場人物たちの強さです。そしてその背後にはそういう強さを持たないと生きていけないこの社会のありようです。
ただ、あまりにも強い。そして、みなさん、自分の生き方や自分の存在を決めておられる。もちろん、それは先に書いたように「それを強いる社会」があるからなんです。でも「決めること」を強いられた時に、対処する方法は、ひとつは「非典型的な存在としての自分を決める」ことなんですが、もうひとつは「決めないこと」だと思っています。なのに、後者の人がほとんど登場しない。
もしかしたら、それは新井さんという人のまわりにいる人がそういう人なのか、あるいは新井さんという存在によって、そうなっていくのか。というのは、新井さん自身が、ずっとファイティングポーズをとり続けておられるんですよね。そんな新井さんに惹かれる人は、やはりファイティングポーズをとるようになるよな。
つい「coming out story」と比べてしまうんですが、真反対かな。わたしは「決めない」ことを言い続けてましたからね。もしかしたらそれはインターセックスとトランスジェンダーの違いなのかもしれないし、マンガ家という「タレント」を持つ人と教員という才能のかけらもない人間の違いかもしれないし、生まれ育った地域の文化の違いなのかもしれないし、それはよくわかりません。
でも、それはともかく、「今」という時代、まさに「生産性」という言葉を国会議員が述べ、それへの抗議があっても講義への反論の特集を雑誌が組むこの時代において、この映画に登場する人々のような存在があるということを知ることは、とても大切だろうなと思いました。
で、映画のあとは、20分ばっかトーク。相変わらずのグダグダトークで、それでも失笑がとれたからええかなと。その後、レインボーフェスタの実行委員の方から告知があったりして、無事トークタイムも終了。にしても、「性別が、ない!」のあとのわたしは、やはりあまりにも空気が違うやろ^^;。知らんけど。
トークのあとは、しばし呑み。でも、さすがに3日連続&昨日の転倒のあとです。9時すぎにお開き。それでも家に帰ったら11時過ぎ。
あー、疲れたけど、よく飲んだ充実した3日間でした。