人間として・補足

トイレに入る瞬間ですね、なにかが生まれてくるのは。今朝、トイレに入ろうと思ったときに、ふと思い出しました。
そういえば、昔「わたしのことを「人間として」見てほしい」と愚痴っていたことがありました。あのころは、「◯◯をやっているいつき」としてしか評価がされていなかったという思いが強烈にありました。「担任をやっているいつき」「在日の子らにかかわっているいつき」「部落の子らとバタバタやっているいつき」etc,etc。そうじゃなくて、「「単なるいつき」じゃあかんのかい」、「「単なるいつき」には価値がないのかい」、「◯◯をやめたら価値がなくなるのかい」と思っていたんですよね。
「人間として」ということにこだわった、もう一つの深層心理は、そのへんにあるのかもしれない…。