精華大学で盗講

今日は、1時間年休を取って、精華大学の「総合講座1」を聞きに行ってきました。ゲストスピーカーは、三橋順子さんです。
ところが、学校を出ようとした時に、忘れていた用事があったので、スタートが遅れてしまいました。家に帰ってバイクをおいて、駅まで走っていったのですが、駅に着いたら踏切が閉まっていました。てことで、電車も一本遅れてしまいました。
ということで、30分以上遅刻して教室に入ったのですが…。広い教室に8割ほど*1。かなり盛況です。前を見ると、三橋さんが話しておられます。さらにその後ろのスクリーンに映っているのは…。新宿のホステスさんです(笑)。
お話の内容は、「三橋順子という研究者」の誕生から現在までの軌跡でした。たしかに、大学入学直後の学生さんたちに話すにふさわしいテーマです。残念ながら、おくれてしまったためにわたしは聞くことができなかったのですが、「研究者三橋順子」の誕生秘話も話されたようです。レジュメの文字を読むだけでも「そんなことがあったんだ」と、考えさせられました。
講義が終わったあと、教室で三橋さんとダラダラと話。「遅れてすみませんでした」「うん、前で見ててね、『あ、社会人の人が来た』と思ったらいつきさんだった」「女子大生には見えませんでしたか(笑)」なんてことを話をしていると、学生さんがツツッと寄ってきて質問です。なかでも印象に残ったのが「ご自分のことに気づかれるまで、苦しいこととかあったんですよね?」という質問。答は…。わたしと一緒でした。ほんとうに一緒。子どもの頃のエピソードなんかも交えながらていねいに答えられているんですけど、ほんとうに似た体験があるんですよね。「あぁ、そうだったよなぁ」と自分のことを振り返りながら、いろいろ考えました。
考えてみると、最近の社会状況って、すでに「GID」という概念ができあがっています。なので、最近の若いトランスの中には、小さな時から「GID」という概念に触れ、はじめから自らをそうアイデンティファイしている人もけっこういるかもしれない。あと、社会規範みたいなものもずいぶんとゆるくなっているしね。そういう中では、三橋さんやわたしのような思いをすることもなくなっている。それは幸せなことかもしれないけど、それでほんとうにいいだろうか…。「あんな思い」をし、さまざまな葛藤と折りあいをつけながら、自分が自分であることを自らの力*2で見つけ出してきた、三橋さんや私たちのほうが、実は幸せだったんじゃないかなぁと、ふと思いました。

*1:ただし、前の方は5割くらい(笑)

*2:と、もちろんたくさんの「仲間」との出会い