自己決定・自己責任

午後、芦原橋駅近くの人権文化センターで「Hさんとの二人会」をするハメになったので、行ってきました。
それにしても、金曜日の夜からずっと飲み続けなのがやっぱり気になります。今日一日、身体持つやろか…。でも、泣いても笑っても今日は来るし、今日は終わります。いまやらなきゃならないことをやり、できることをするしかないです。
ところで、Hさんと二人会とはいえ、ネタあわせがぜんぜんできていません。なので、少し早めに行って打ちあわせ。お互いに「いつきさんから」「いえ、Hさんから」と譲りあうのはお約束です。で、結局「しゃべり」なわたしが先行していくことになってしまいました。まぁ、わたしのネタってあまりバリエーションがないから、専門のHさんが後攻めの方がいいのはいいんだと思います。
で、サクッとネタあわせを終えて、あとはよもやま話。最近Hさんが考えていることについていろいろ話。
なんでも「自己決定って、「必ず成功させる」というような確信を持ってやらなくちゃならないことなんだろうか。そんなこと、みんなやっているんだろうか」ということのようです。これ、自己責任の問題とからまってくるわけなんです。さらに「自己決定の結果って、どうせ必ず自分で責任をとらなくちゃならないわけで、それを他者から「責任をとれ」ってあらためていわれなくちゃならないものなんだろうか、という提起がある」みたいなことも言われました。
なるほどなぁ。わたしは「自己責任って、他者から「責任をとれ」と言われることじゃなくて、怒った結果に対して、自らが「よし」とすること」と思っているんです。で、それが可能にするためには「すべてが選択だ」と考えることからかなぁと思っています。まぁ、こういうのって強者の論理という批判を受けそうですが、でも「選びたくて選んだワケじゃない」という発想はその結果がしんどい状況になった時に、その責任(原因)を他に求めることにつながっていくし、そういう姿勢が他者から「自己責任」を押しつけられることへとつながっていくんじゃないかなぁと思うわけです。
もっとも、いまは「選択肢」があまりにも少なく、「自己決定」がきわめて難しい状況であるということは否定できませんね。