ウトロ歴史資料館のための国際ワークショップ

午前中は自転車の手入れ。見栄えもちょっとマシになってきました。
で、午後からはウトロへ。
考えてみると、京都在日外国人高校生*1交流会が1997年秋にやった交流会では、東九条フィールドワークをしていたんですね。その時の写真がこれです。

当時はスキャンした写真を「どーせ」と思っていたので白黒で保存していたんです。
これ、参加者が東九条の40番地、いわゆる「堤防の街」を歩いている風景です。それが、いまや跡形もなくなっています。東九条に限らず、ほとんどの部落では地区改良前の風景は跡形もなくなっていて、とってつけたような*2町並みが並んでいたり、唐突な*3団地があったりというふうになってしまっています。
もちろん住環境が改善・整備されているわけで、それはとても喜ぶべきことなんですが、一方、「歴史」をなかったことにしてしまうことが可能になるわけです。
なので、ウトロでは「歴史資料館」をつくろうという話が、まちづくりの計画が持ちあがると同時に出てきていました。
で、今回は、丹波マンガン記念館の李龍植さんをお呼びして、歴史資料館をつくることの意味みたいな話をしてもらい、守る会からは田川明子さんに話をしてもらうというワークショップが開催されました。
李さんの話からは、政府がいかに歴史を消し去ろうとしているのかということが、ご自分の体験を通して、これでもかこれでもかと突きつけられました。また、田川さんの話は、ドイツにある小さな町の教会がもともとは強制収容所だったことから、町の人々がその歴史を保存するべく歴史の発掘をされた事例が紹介されました。
いずれの話も、「歴史」と向きあうこと抜きに今・これからを生きることができないこと、にもかかわらず、どんどん資料がなくなっていくことの危機感を語られました。
田川さんの話の中にあったエピソードを備忘のために書いておきます。

今から20年前に「守る会」ができた時に、あるハルモニから「なんで終戦の時に守る会がなかったのか」と言われた。

みなさん、「恨(ハン)」を抱えたまま死にたくはないのです。

その後いろいろあったので(笑)、断片的な記憶しかなくてわけわからんけど、ほんとうにいい話でした。

*1:当時

*2:と書くと語弊があるか…←こればっか

*3:ん〜…