年長者の指導法・雪と氷の世界(3日目)

昼ご飯を食べていると、突然
「午後からレッスン入りました」
と言われちゃいました。まぁ、「アブレ」じゃなくてよかったよかった。
はじめてのお客さんはやっぱり緊張します。どういう人かわからないし、「しょーもないレッスン」と思われてしまったら、2度と来られませんからねぇ。
で、対面したのは50過ぎっぽいおじさま*1。とても物静かな方です。ただ、リフトの上で話がはずまないのが厳しい。なんしか、「沈黙に耐えられない」わたしですから(笑)。
でも、聞いてみると、かつてスクールに入った経験もあり、昔は毎週のようにスキーに行っておられたとか。でも、仕事が忙しくなり、家族ができ、徐々にスキーに行く回数も減ってきたみたいです。いまでは三が日にスキーをするだけらしいです。だんだんスキー技術を忘れていって、今ではすごく疲れるとか。
そうか、燃えておられたんだ。だったら、「いまの自分」はさびしいだろうなぁ。しかも一緒に滑る人がいない。
てことで、今回の目標は「一緒に滑る人になる」というところからスタートかな。それと、「思い出してもらう」ということ。それは技術だけじゃなくて、「スキーへの情熱」みたいなものを思い出してもらうことが大切なんじゃないかなぁ…。
半日のレッスンを終えて、夜に
「明日はどうされますか?」
と聞くと
「レッスン、受けたいです」
と答えてもらえました。うれしかったなぁ。


てことで、ちょっとお勉強。「シュビンゲン」というオーストリアスキー教程をひもといてみます。この本、すごい本です。かつて「生徒」だった頃に読んだら、何を書いてあるのかさっぱりわかりませんでした。やがて「スキー教師」になり再び読んだ時、もう、本当に「目からヌリカベ」です。スキーの理論から、教師としての心構え、そして技術、指導法、ありとあらゆることが事細かに書いてあります。こんな一文がありました。

年長者はできるだけ転倒せずに、またケガをしないで滑りたいと思っている。転倒や特に起きあがることは、彼らに減退しつつある器用さや柔軟性を意識させる。彼らは恥をさらそうとは思わないし、また速く滑るつもりもない。なぜなら器用さや俊敏性の限界を感じているからである。むしろ、「体力を維持するためになにかを行う」という理由から、長い距離を続けて滑る。すなわち、彼らは上達したいというよりは、冬にも運動をしたいと望んでいるのである。
年長者は、スキー教師に、技術の指導よりも、人間的組織的な世話を期待している。彼らは自ら進んで行おうとすることが少ない。スキー教師はその点を理解して、彼らを励ましつつ滑降や新しい運動を行わせる必要がある。彼らが理解され評価されているという気持ちを抱けるように、スキー教師は彼らの心配や不安を詳しく聞いてやる必要がある。特に若いスキー教師は年配者を指導する場合、教える態度を変えなければならない。しかし、そうした人たちの手だてをして、彼らの人生を豊かにすることは非常に満たされることである。

かつてはわからなかったこの文の意味、いまならわかります。

*1:たぶん、性自認は聞いていない