プライベートとパブリック

去年までうちの職場にいたある教員が
「最近の生徒って、プライベートとパブリックの区別がついてへんのと違うかなぁ」
と言っていました。それをここしばらくよく思い出します。
たしかにそうなんですね。
例えば、ふつう見つかっちゃいけないこと(笑)は、パブリックなところでは隠すものです。でも、それを隠す意識が希薄。だから見つかる(笑)。ものに対する意識も同様です。パブリックなものをプライベートと勘違いしている。
つまり、すべてのことが、プライベートと地続きになっている。もしかしたら、生徒たちにとってのパブリックは、バイトぐらい?
これ、もしかしたら、保育園・幼稚園〜高校までの間の子どもたちと教員・保育士の距離のとり方に原因があるなかもしれないなと思いました。
当然就学前ではすごく近くて当たり前。でも、おそらく小学校に入った時、子どもたちに
「ここはパブリックなところ」
という感覚を少し教えなくちゃならないんじゃないかな。さらに中学校では、その度合いを高める。そして高校では「社会」という完全パブリックへの準備をさせる。発達段階に応じて、パブリックな場所を増やしていくトレーニングを校種間で連携しながらやっていく必要があるんじゃないかなぁ。
でも、しんどい子がたくさんいる学校では、おそらくとてもじゃないけどそうはいかないんだろうな。それは家庭の経済状況や教育力とも関係があるかもしれない。
例えば、家の中でのパブリックとプライベートをきちんとつけていれば、それは外でも応用できます。でも、プライベートが保障できない家であれば、必然的にその境界はにじみます。
それでも例えば、
「よそはよそ、うちはうち」
と言い切れれば、また違うかもしれない。
あるいは、道端で「おいた」をしている子どもに
「公共空間でなにをしている」
と怒る地域の人がいれば、また違うかもしれない。
ほんとうに、社会全体でとりくまないとどうしようもないなぁと思いながら、電車の中で音楽を聴きながらスマホをいじるわたしですよ(笑)。